かつて、多治見の窯業は、型屋、素地屋、問屋、絵付け…など、地域の中で細かく分業されていました。
当時「絵付け業」を専門におこなっていた先代 小泉蔵珍は、「決められた器(土台)」に「決められた絵」を付けるという受け身の仕事に葛藤を覚えます。
「もっと、自らが作りたいものを一から作り、お客様に届けたい」という想いが日に日に強くなり、職人を育て、器の作陶から絵付けまでを全て一貫して行なう現在の「蔵珍窯」が生まれました。
「うつわ」と
「時」を愉しむ